忍者ブログ
世界遺産の日光の寺社群、
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カウンター
フリーエリア
[138] [137] [136] [135] [134] [133] [132] [131] [130] [129] [128
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

.




 世界遺産 日光大紀行(40)鬼怒川地区 「鬼怒川温泉」 






鬼怒川と鬼怒川温泉タウン





鬼怒川、川治地区

次に、栗山地区の東に隣接する地域は、旧藤原町で鬼怒川地区とも呼ばれ、その名の通り鬼怒川温泉や川治温泉などの温泉を抱える町である。

町名は「ふじわら」ではなく「ふじはら」と読む。

鬼怒川、川治といった大きな温泉地に、国道や鉄道が縦貫する開けた土地柄の地域であるが、急傾斜地が多く、起伏に富んだ狭い地形であり、面積の96%が山岳地帯でもある。


町の中央を鬼怒川、北部の三依地区には鬼怒川の支流の一つ男鹿川が流れる。
その鬼怒川温泉は、箱根や熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれ、現在でも年間200万人以上の観光客で賑わうという。


鬼怒川温泉の起源は、江戸期の元禄年間に地元の村人に発見されたのが始まりと言われている。 
ところがこの温泉は日光奉行と村人の間で所有権争いとなり、ついに日光奉行に没収されたうえ、一般の人々の入浴が制限されてしう。
従って、当初は日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治近くになって再び一般の人々が利用できるようになったが、当時はまだ規模が小さく、村の名前から「滝温泉」と呼ばれていて、それが現在のような有名な温泉街に発展できたのは、鉄道が開通したからという。

工事用に敷かれた藤原軌道をもとに、大正9年に下野軌道が開通したのが最初であった。
鬼怒川温泉と呼ぶようになったのは昭和の初期で、従来の滝温泉と藤原温泉を合わせての名称が今日までいたっている。


次回、鬼怒川地区  「鬼怒川温泉・2」





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」








PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Copyright (C) 2009 日光の世界遺産、二社一寺、, All right Resieved.
*Powered by ニンジャブログ *Designed by 小雷飛
忍者ブログ / [PR]