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 世界遺産 日光大紀行(47)日光の歴史 「太古の日光」 



太古の日光

日光の歴史にはいくつかの節目がある。

日光の有史以前(縄文、弥生期)の古代、特に奥日光周辺は古くからの猟場であったとされ、男体山の中腹からも石のヤジリが発見されている。
このことは縄文以前の石器時代ものとされ、この頃から日光には既に人跡があったものと推定されている。 


また、日光市内には16カ所もの縄文・弥生遺跡があり集落跡や土器も発見されているが、古墳は発見されておらず、「歴史」以前の日光は狩猟民族マタギが先住民であったようである。



日光が霊山として開山されたのは勝道上人とされているが、それ以前の男体山山頂からは、さらに古い時代の遺物も発見されており、勝道上人以前から日光は信仰の山(神宿る山)であったともとれる。

しかし、日光が史実として、歴史上に登場するにはやはり勝道上人を待たなければならないのである。


そして、有史以降の日光を大別すると、
やはり、第一は勝道上人による日光の開山時期である。
第二は初めて関東が政治の中心となる鎌倉幕府が関与した時期、
第三は江戸幕府の成立による東照宮造営の時期、
それに、第四は神仏分離政策が実行され、今日に至る明治維新以降の時期であろう。


古来日本人は、山や川、樹木等自然界のあらゆるものに神の存在を感じ八百万の神として敬ってきた。

6世紀の中ごろに仏教が伝来すると其れを同化・共存させて「神仏習合」という形態を造りだし、また7世紀ごろより山は畏怖や恭敬(きょうけい;つつしみうやまうこと)の対象だけではなく、山頂へ達することが仏の加護を受け霊力を授かるととして、山伏たちによって多くの山が開山されてゆくのである。


日光の歴史 「日光の古代





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