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世界遺産・日光大紀行

世界遺産の日光を中心に、日本有数の広さをもつ、大日光市域の自然、登山、歴史、世界遺産群を巡ります。

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世界遺産 日光大紀行(51)日光の歴史 「日光の近世」




日光の近世(江戸期)

日光の歴史の中で最大の画期的なことは、言うまでもなく元和3年(1617)の「東照大権現」の鎮座である。

徳川家康の死後、その霊柩が久能山から日光へ遷座され、東照社(後に東照宮に昇格)が創建されたことで、日光は一気に徳川家の祖廟を祀る霊地となり、江戸幕府の権威を支える重要な拠点となった。


戦国期が終わって、やがて徳川家康の時代を迎えることで、さらに新たな転換期を迎えることになる。

豊臣秀吉没後、関が原の戦い、更に大阪の陣を経て、慶長8年(1603)家康が江戸に幕府を開く。



長かった戦国の世がここに終止符を打つが、日光は未だ暗闇の中にあった。
そして転機は、慶長18年(1613)天海僧正が日光山53代管主として迎えられたことによる。


元和2年(1616)徳川家康が没し久能山に埋葬されたが、翌年家康の遺言「1周期の後、日光に小さき堂を建てよ」により、国家平安の祈りをこめて、江戸の北に位置する聖地・日光に神霊を遷座することになる。

天海の先導で久能山より1ヶ月をかけて遷座が行われた。
これが東照宮の祭礼・千人行列の始まりという。




徳川家康は1616年、73歳で駿府城で死去している。
遺言によりこの地、久能山東照宮に遺骸が埋葬された。
久能山は、「あたかも桶を伏せたるが如く」といわれるような、断崖に囲まれた天然の要害の地である。

武田氏が滅びて駿河の国一帯が徳川氏の領有することになるが、家康は死の真際に望んで、西の諸大名が異心を抱き、謀反など発起させぬよう、睨みを効かす為に険峻高地の久能山に菩提寺を選び、亡骸を西側に向かせて葬るように、と遺言したという。


次回、日光の歴史 「日光の東照権現






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