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世界遺産の日光の寺社群、
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世界遺産 日光大紀行(52)日光の歴史 「日光の東照権現」





家康の権号、「東照神君・東照権現

二代将軍秀忠により、久能山に造営された権現造の極彩色で社殿は、荘厳な雰囲気で見る者を圧倒するという。 

本殿、拝殿等の社殿は権現造、総漆塗り、極彩色に彫刻、模様、組物は桃山風の技法を施し、江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されている。


家康公は後に「東照神君・東照権現」となり、平和、開運、学問、厄除の神として崇められ、全国東照宮の根本大社として幅広い崇敬を受けている。

祭神は「正一位 徳川家康公」、相殿に「正一位 豊臣秀吉公」「正一位 織田信長公」を祀る。 

正一位とは平安期、律令制における官位のことで、いずれも天皇から授かる。
一から五位まで正と従があり、正一位は最高官位である。



そして、その20年の後に、三代将軍家光によって、御霊[みたま]は日光東照宮へ移された。
 


ご存知、三者を現した句に、

『 啼かぬなら 殺してしまえ 不如帰 』  信長
『 啼かぬなら 啼かせてみよう ホトトギス
 』  秀吉
『 啼かぬなら 啼くまで待とう ほととぎす 』   家康




天下統一を果たし、270年にも及んだ江戸幕府を開いた家康は1542年、当時、松平氏として岡崎で生誕している。

幼少時分は苦労の連続で今川氏の駿府城下、家康は今川家の人質として19歳までの12年間を過ごしている。

不自由な生活に耐えることで忍耐強い性格がここで形成される。



1603年、江戸に幕府を開き徳川政権下、征夷大将軍になったが、わずか2年で秀忠に将軍職を譲り、駿府に戻って大御所と呼ばれるようになった。

晩年になって、天下統一を果たした家康は、忍従と波乱に満ちたの一生であったといえる。


次回、日光の歴史 「家康公の遺訓




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