忍者ブログ
世界遺産の日光の寺社群、
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カウンター
フリーエリア
[173] [172] [171] [170] [169] [168] [167] [166] [165] [164] [163
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。






 世界遺産 日光大紀行(76) 日光・いろは坂・Ⅱ  



日光・「いろは坂」は、長い歳月をかけての渋滞緩和、無料開放の歴史があった。

元より、いろは坂の名は、明智平ロープウエイが開通してから命名されたもので、古くは「中禅寺道」とよばれ、中ノ茶屋から下を「地蔵坂」、上を「不動坂」とよんでいた。

急な坂道を上下するため、かつては坂の途中に五軒の茶屋があり、下から深沢茶屋、剣ガ峰茶屋、中ノ茶屋、座頭茶屋、見晴茶屋などがあったらしい。 
これらは昭和20年代の地図にも記されていたが、中ノ茶屋跡以外は道路改修により跡形もなくなってしまったという。

奥日光は、日光開山の祖である勝道上人のあとを追った山岳修験者が開拓したものが起源で、二荒山神社(男体山が御神体)がその聖域であったため、神々に通じる道として明治5年まで女性、牛馬の立ち入りは禁止されていた。



明治20年代、内外の要人が奥日光を避暑地として利用するようになったため、現在の「第一いろは坂」の原型が整備され、大正14年には、日光自動車(金谷ホテルが設立)が中禅寺まで車を乗り入れるための工事費を出資し、幅員を3.5メートルまで広げた。

その後、自動車交通の増加に対応するため、いろは坂起点・終点に信号を設け、一時間ずつ上り・下り専用道路として利用していたと言われる。



1984年(昭和59年): 無料開放
1986年(昭和61年):日本の道100選に選出される。
1987年(昭和62年):日本ロマンチック街道の一部となる。



次回、明智平




【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」



PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Copyright (C) 2009 日光の世界遺産、二社一寺、, All right Resieved.
*Powered by ニンジャブログ *Designed by 小雷飛
忍者ブログ / [PR]