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 世界遺産・平泉(22)  「平泉と北上川(2)」  .





高館(義経堂)から観る北上川と束稲山




平泉は北上川の流域に栄えた、藤原時代における東北の中心であった。
その、義経が最後に過ごしたとされる高館(義経堂)からは、今でも平泉の美しい景色と北上川のゆったりとした清流が望むことが出来る。


11 世紀末~12 世紀初頭に、清衡(奥州藤原氏初代)は江刺郡に存在した豊田館(奥州市江刺区にある平安時代末期の居城で藤原経清が築いたとされ、経清の子・清衡が生まれ育った所であると伝わる)を出て磐井郡平泉に館を移した。


当時の平泉は、奥六郡の南の境界線である衣川を超えて、さらに南の地点に位置していた。
束稲山をはじめ東方に展開する北上山地と、西方に展開する奥羽山脈との間に挟まれた狭隘な盆地に当たり、日本の北方領域における主要道が北上川と近接して南北に貫く交通の要衝を成していた。
東に北上川、北に衣川、南に太田川がそれぞれ流れ、三方を川に挟まれた地であり、随所に湧水が点在する独特の水辺の景観を形成していた。

衣川の豊田館から平泉に移った清衡は、先ず、衣川北岸の渡河点として要衝の地である関山に中尊寺一山を造営した。

その後も北上川と大田川を運河で結び、河畔に「御所※」という居城を設け、更に、北上川の沿岸部の平地に侍屋敷を始めとする一大都市を造り上げ、大型船による舟運を開いている。 
この時、侍屋敷周辺は、暴れ川といわれた北上川の洪水を守るべく堤防を築いている。


御所(※)とは、政庁「柳之御所」(平泉遺跡群の1つ)のことで、初代清衡、2代基衡の居館、あるいは源義経の居所との伝承がある。
御所は平泉館ともいい、当時は北上川の水辺の際にあったため、長年に渡り侵食され、一時、館跡は川によって流されたと思われていたが、近年の遺跡の調査で確認がなされているという。



次回、「北上川の水運





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