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世界遺産テーマ曲;鳥山雄司曲
世界遺産 日光大紀行(74)日光いろは坂 「馬返し」
さて、宇都宮・日光道路・清滝インタから国道120号線をいろは坂方面に直進すると、右に古川電工の巨大な工場で大正・昭和に初期には日本有数の精銅工場であり、今では先端科学製品を製造している日本有数の企業である。
道路は左折すると足尾・桐生方面である122号線の分岐で、直進前方、いよいよ山裾に入り込んで行くと、有名な「いろは坂」である。
上りと下りが各一方通行に分かれていて、その基部に当たるところが「馬返し」である。
いろは坂の入り口となる「馬返」という地名は、これ以上は山道が険しく狭いため(当時は無論、未舗装の悪路、砂利道である)、馬はここで返すということからきた地名である。その名前のとおり急な坂道が続くが、しかし、今では自動車では登りも下りもおよそ15分程度の時間で通過できるのである。
当時は、中禅寺湖、奥日光方面への移動は大変だったのである。
この「馬返し」まで、日光市内を軌道電車が走っていたことは、あまる知られていない。
当時の日光町が、現在の古河電工と合弁で明治41年に日光電気軌道を設立した。
日光東照宮、輪王寺、二荒山神社等の観光地への旅客輸送や古河精銅所からの貨物輸送を目的に建設された。
日光の山道を行く珍しい路面電車で、沿線の標高は停車場前(のちの国鉄駅前)が533m、馬返が838mで、日本国内の路面電車では一番高かった。
軌道はいたるところが急勾配であり、終点馬返からは傍系の日光登山鉄道によるケーブルカー(後の東武日光鋼索鉄道線)が明智平まで延び、翌年から明智平では同社のロープウェイ(後の明智平ロープウェイ)に接続、奥日光方面や華厳滝、中禅寺湖への観光輸送も行っていた。
しかしその後は、いろは坂の整備も進み、又、車社会の発展に伴って、昭和43年で全線が営業が廃止され、58年にも及ぶ歴史に閉じた。
次回、日光・いろは坂
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