世界遺産の日光の寺社群、
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9、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と本地垂迹」
日光山の元祖: 滝尾神社
日光山の本地垂迹について、
因みに仏教教示は、平安時代になり「最澄」、「空海」(平安二宗)らの出現によって、奈良時代(南都六宗)の官寺から、一般大衆の信仰対象となって宗派が出来た。
その仏教宗派は、山岳信仰(自然神)や各地の神社との融合である「本地垂迹」と言う形式が出来て、神道と仏教の共存のあり方が生まれてきた。
神道が仏教に一歩、歩み寄り、仏教も神道に融和し互いに化身し、裏表一体の権化として、この形式が公家から庶民まで浸透して行った。
この事象は、平安期から江戸末期まで延々と続くことになる。
だが、世は近代に移る時の明治4年、今から140年余り前、日本が明治維新と言う史上例のない大変革に取り組み、近代化日本に邁進する中に「廃藩置県」と「神仏分離令(通称)」が施行発令された。
それまでの日本は仏教伝来依頼、神仏は共栄共存をしてきた。
世界の古今東西、外来宗教と既存宗教の軋轢、紛争は世の常であるが、日本人の英知言うべきか、旨く融和、融合し、神仏習合が特に大きな問題も無く、同一化できたことは世界の奇跡と言っても良い。
以来1400年余り大きな争いにもならず融和、伝統文化を形成し、歴史を刻んできた。
昔は、日本の津々浦々に神社と寺院が隣り合わせ、また道を一本隔てて立っている光景を良く見かけたものであろう。
ところが、明治維新までは神仏一体の社寺だったはずが、明治初期の神仏分離令によって、神と仏、神社と寺院は別のものとして、切り離されたのである。
現在、日本には神社が8万8千社、寺院は7万5千寺が有ると関係資料に記されている。
多分、明治以前の神仏分離がなされていなかった場合、寺院だけでも十万寺は下らなかったろうといわれる。
次回、「日光山と輪王寺宮」
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