世界遺産の日光の寺社群、
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166、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・日光三社のまとめ」
二荒山本社(新宮)、
それに滝尾神社、
本宮神社
日光探勝コース(クリックすると範囲拡大します)
二荒山本社(新宮)、それに滝尾神社、本宮神社とともに、古くから日光三社(三所)権現として敬まわれた。
本殿は、三間社流造りで銅瓦ぶき。塗装は向拝回りのみ極彩色で、ほかはほぼ弁柄漆塗り。拝殿は間口・奥行きとも3間(5.5メートル)角、入母屋造りで銅瓦ぶき。
全体的に簡素な佇まいであるが、本宮の名にふさわしい雰囲気が境内にただよっている。
本殿の背面に扉が設けられているが、この扉を開いて男体山を拝んだとされ、霊峰崇拝の名残をとどめている。
この事は、先に述べた「滝尾神社」の拝殿、唐門付き本殿など、様式、造形とも酷似している。
尚、具体的な社殿の建設や祭礼方式は、鎌倉時代初期に男体山山頂から遺蹟の出土品があったことでも覗えるように、山岳信仰が最盛期を迎えていたことが判明し、この時に麓において神社や祭礼が確立されていったと考えられている。
それまでは二荒山大神としての所謂、自然神を祭っていたが、この時期(12世紀頃)になって、現在の神々(三神)が当てられたのだとされている。
更には、本地垂迹により寺院(別当寺、神宮寺)が建立されるに及んで、其々の神に、それぞれの仏があてられ、現在でも輪王寺(位置)ではこれらの仏を祀っている。
そのことは、鎌倉時代には政治の中心が関東の鎌倉に移り、それの伴って鎌倉将軍家の日光への帰依依存(神や仏など、すぐれた者に服従し、すがること)も著しく、鎌倉将軍の護持僧(祈祷を行う僧の職で、鎌倉将軍家の身体護持のために祈祷を行った僧)として仕える僧侶が多く輩出する。
この頃には、鎌倉幕府の権威も借りて神仏習合が更に進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)、三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)、山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏・やまぶし)が盛んになってゆく。
室町時代には、日光山は所領十八万石、500に及ぶ僧坊が建ち並び、その隆盛を極めるに到ったとされている。
日光三山 「終」 次回は二荒山・中宮祠
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