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世界遺産の日光の寺社群、
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  世界遺産 日光大紀行(9) 「日光の紹介・3」   .









「日光」という単純明快な名称は、既に、明治期には日光町として存在していて、昭和29年には日光市が発足している。


元より、日光の名前の出発点は、8世紀の奈良期に遡るといわれる。
空海の書したといわれる勝道上人(後ほど解説)の碑文には、男体山を「補陀洛山」と記していて、平野から彼方に見える男体山を観音菩薩の現れる浄土として付けられたとされている。

弘法大師・空海は、弘仁11年(820年)に補陀洛山に入山し、補陀洛から「二荒」の字を当て 音読して「にこう」になり、日光と改称したとされている。


補陀落→二荒(ふたら)→二荒(にこう)→日光 . 


その他幾つかの説があるようだが、一つに、「日光」の字の初見は保延4年(1138)清滝寺の大般若経の奥書(文書の左末尾:奥に、原則として異筆で書かれた記事のことで、記録・著述・経文などの巻末にその伝来、書写の年月、経緯を記したもの)に記されているという。

小生が勝手に解釈するなら、勝道上人は霊山・二荒山(男体山)に幾たびも挑戦して、その後、10数年後になって、やっと山頂に到達するのである。
上人は、この時山頂において霊験なる御来光を拝し、「これぞ天井天下を照らす、日の光、当地は正に『日光』の地である」と、思ったに違いない・・!?。



市内の観光地・景勝地としては、他の地域に類を見ないほど多彩に存在している。

日光の寺社群は言うに及ばず、エリアとしての日光の日光連山(男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、赤薙山、太郎山など)、中禅寺湖、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯ノ湖や日光湯元温泉、そして行政地域としての現日光市域の鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、鬼怒沼湿原、龍王峡、足尾銅山などがある。

そして、遂に1999年には「日光の社寺」として、寺社群が世界遺産に登録された。


次回、「日光の地域




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