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世界遺産 日光大紀行(98)日光の自然 「奥日光・戦場ヶ原」(Ⅱ)
さて、戦場ヶ原の名前の由来だが、過去の歴史上において大戦(おおいくさ)の戦闘が行われた地域で、果たして、何時の時代に、どのような戦が成されてきたのかと想像をふくらましていたが、実は、神戦伝説「戦場ヶ原神戦譚」と呼ばれる伝説からきているという。
チョッと拍子抜けの感であったが、神代の昔、下野の国(栃木県)の男体山の神と上野の国(群馬県)の赤城山の神が領地の問題で戦った。
男体山の神は大蛇、赤城山の神は大百足(むかで)に姿を変えて戦った。
赤城山の神は、男体山の神の助太刀の岩代国(群馬県)の弓の名手、猿丸の射た矢で右目を射抜かれ、戦いは男体山の神の勝利に終わった。
この戦いがあったところが、戦場ヶ原。大百足の流した血がたまったのが、赤沼であり、勝負が付いたのが菖蒲ヶ浜であり、勝利を祝ったのが歌ヶ浜と呼ばれるようになったと言われている。
それにしても、神話にも歴史上の事実が含まれていることが多いと思っているので、実際に古代の豪族が土地争いなどしたという事実があったのではないだろうか、だが、この地は神代の住む神聖な地、しかも当時としては人跡疎らな山峡の地、このような所で戦が起こるであろうか・・?。
戦場ヶ原は、その東側を(南から順に)男体山、太郎山、山王帽子山、三岳およびその山麓に囲まれ、西側は(南から順に)小田代ヶ原、外山に面する。地内西縁部にはほぼ南北方向に湯川が流れる。
この湯川に並行するように、赤沼と湯滝の間に戦場ヶ原自然研究路が設置され木道が整備されている。
2001年(平成13年)、環境省日本の重要湿地500に第1基準および第2基準適合の高層湿原および湖沼として湯ノ湖および小田代ヶ原とともに指定を受け、その4年後の2005年11月には、戦場ヶ原のうち174.68ヘクタールの地域が湯ノ湖、湯川、および小田代ヶ原と共に、奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となった。
因みに、ラムサール条約は、湿地の保存に関する国際条約で、水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年に制定され、1975年に発効した条約である。
「ラムサール条約」は、この条約が作成された地であるイランの都市ラムサールにちなむ略称・通称である。
東辺には湿原を貫通して国道120号が通り、その沿線に設置された赤沼自然情報センター、レストハウス三本松茶屋のほか、竜頭の滝、湯滝などが戦場ヶ原ハイキングの拠点となっている。
このうち三本松には展望台が設置されており、戦場ヶ原を東側から展望できる。
また西縁の湯川沿いの自然研究路にも展望台が数箇所備えられ、戦場ヶ原を西側から展望できる。
次回、小田代ヶ原
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