世界遺産の日光の寺社群、
カレンダー
最新記事
(01/04)
(01/04)
(01/03)
(01/02)
(12/28)
カウンター
フリーエリア
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
.
世界遺産・平泉(18) 「構成資産;金鶏山」 .
金鶏山
金鶏山登山入口
千手堂(藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置)
義経妻子墓(妻・「北の方」と娘)
【金鶏山】
『 中尊寺ノ東南ニ高峯アリ。 秀衡コレヲ駿州ノ慈峯(富士山)ニ擬ス。カツ金鶏一匹ヲ峯頭ニ埋メ、金鶏山ト号ス 』
「奥州観蹟聞老志」(1719年に完成した全20巻に及ぶ仙台藩の地誌である)に書かれている。
又、「奥の細道」で次のように書かれている。
『 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す 』
金鶏山は、平泉を完成させた三代秀衡が築いたとされる。
標高96mの人工の独立した小高い山で、地元では造り山とも呼ばれている。
平安末期に栄えた奥州藤原氏の拠点である平泉の中央、藤原氏三代が築いた中尊寺、毛越寺、無量光院及び政庁とされる柳之御所遺跡なが点在しているその中央に位置する。 所謂、仏都平泉の浄土空間や寺仏伽藍配置等の設計上の相対的基準となった信仰の山である。
伝説では、平泉の鬼門の方向(北東)から北上川まで人の列を作らせて土砂を運ばせ、一晩で築いたといわれる。
実際に、毛越寺の鬼門(北東)に位置し、平泉を守るために雌雄一対の黄金の鶏を埋めたことから「金鶏山」とも呼ばれる。
高さは100m足らずの小山だが、登り口付近には源義経妻子の墓と伝えられる五輪塔や毛越寺の別院とされる千手院(藤原清衡、基衡、秀衡の位牌、秀衡の木像などが安置されている)がある。
義経伝説では・・、
源義経が衣川館に居たところを不意に襲ってきた泰衡の手勢に囲まれ、僅かな手勢で数時間を持ちこたえたが、最期の時を覚った義経は持仏堂に籠もり、まず幼い娘と妻を殺害した後、気合いとともに自刃し果てたという。
親子の遺骸は否応なく引き離され、義経の首は鎌倉に運ばれ、そして、妻子の亡骸は金鶏山に葬られたともいわれる。
金鶏山は、現在でも伝説が残る山で、想像上の鶏である金鶏を形どった黄金の金鶏像が埋められていると言う伝説や埋蔵金が山の何処かに埋められているのではないかといった噂もある山のようだ。
地元の観光ガイドが言うには4月中旬と8月末頃、無量光院跡から金鶏山の頂上に夕日が沈む時の光景が、最高のビュースポットと言う。
【リンク】
※ 金鶏山;http://pub.ne.jp/hanakatumi/?entry_id=3852871
※ 金鶏山;http://sekai-isan.biz/001_8/002_5/010/
【問合せ】
平泉観光協会 http://hiraizumi.or.jp/heritage/index.html
【交通】 (登山口)
平泉駅前の道を直進。毛越寺手前を右折して、平泉温泉の先の道を左折して少々山を上がった所に登山口がある。
次回、平泉を育(はぐく)んだ、「北上川」
【小生の主な旅のリンク集】
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ
《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)
【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観 奥州・平泉
東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002
【山行記】
《山の紀行・記録集》
「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 南アルプス・鳳凰三山 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 大菩薩峠紀行(1970年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)
《山のエッセイ》
「山旅の記」 「山の歌」 「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
。
世界遺産・平泉(18) 「構成資産;金鶏山」 .
金鶏山
金鶏山登山入口
千手堂(藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置)
義経妻子墓(妻・「北の方」と娘)
【金鶏山】
『 中尊寺ノ東南ニ高峯アリ。 秀衡コレヲ駿州ノ慈峯(富士山)ニ擬ス。カツ金鶏一匹ヲ峯頭ニ埋メ、金鶏山ト号ス 』
「奥州観蹟聞老志」(1719年に完成した全20巻に及ぶ仙台藩の地誌である)に書かれている。
又、「奥の細道」で次のように書かれている。
『 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す 』
金鶏山は、平泉を完成させた三代秀衡が築いたとされる。
標高96mの人工の独立した小高い山で、地元では造り山とも呼ばれている。
平安末期に栄えた奥州藤原氏の拠点である平泉の中央、藤原氏三代が築いた中尊寺、毛越寺、無量光院及び政庁とされる柳之御所遺跡なが点在しているその中央に位置する。 所謂、仏都平泉の浄土空間や寺仏伽藍配置等の設計上の相対的基準となった信仰の山である。
伝説では、平泉の鬼門の方向(北東)から北上川まで人の列を作らせて土砂を運ばせ、一晩で築いたといわれる。
実際に、毛越寺の鬼門(北東)に位置し、平泉を守るために雌雄一対の黄金の鶏を埋めたことから「金鶏山」とも呼ばれる。
高さは100m足らずの小山だが、登り口付近には源義経妻子の墓と伝えられる五輪塔や毛越寺の別院とされる千手院(藤原清衡、基衡、秀衡の位牌、秀衡の木像などが安置されている)がある。
義経伝説では・・、
源義経が衣川館に居たところを不意に襲ってきた泰衡の手勢に囲まれ、僅かな手勢で数時間を持ちこたえたが、最期の時を覚った義経は持仏堂に籠もり、まず幼い娘と妻を殺害した後、気合いとともに自刃し果てたという。
親子の遺骸は否応なく引き離され、義経の首は鎌倉に運ばれ、そして、妻子の亡骸は金鶏山に葬られたともいわれる。
金鶏山は、現在でも伝説が残る山で、想像上の鶏である金鶏を形どった黄金の金鶏像が埋められていると言う伝説や埋蔵金が山の何処かに埋められているのではないかといった噂もある山のようだ。
地元の観光ガイドが言うには4月中旬と8月末頃、無量光院跡から金鶏山の頂上に夕日が沈む時の光景が、最高のビュースポットと言う。
【リンク】
※ 金鶏山;http://pub.ne.jp/hanakatumi/?entry_id=3852871
※ 金鶏山;http://sekai-isan.biz/001_8/002_5/010/
【問合せ】
平泉観光協会 http://hiraizumi.or.jp/heritage/index.html
【交通】 (登山口)
平泉駅前の道を直進。毛越寺手前を右折して、平泉温泉の先の道を左折して少々山を上がった所に登山口がある。
次回、平泉を育(はぐく)んだ、「北上川」
【小生の主な旅のリンク集】
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ) FC2ブログ C・掲示板 FC2 H・P gooブログ yahooブログ
《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」 日本周遊紀行「西日本編」 日本周遊紀行 (こちらは別URLです)
【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観 奥州・平泉
東北紀行2010内陸部 ハワイ旅行2007 沖縄旅行2008 東北紀行2010 北海道道北旅行 北海道旅行2005 南紀旅行2002
【山行記】
《山の紀行・記録集》
「山行履歴」 「立山・剣岳(1971年)」 白馬連峰登頂記(2004・8月) 八ヶ岳(1966年) 南ア・北岳(1969年) 南ア・仙丈ヶ岳(1976年) 南アルプス・鳳凰三山 北ア・槍-穂高(1968年) 谷川岳(1967年) 尾瀬紀行(1973年) 大菩薩峠紀行(1970年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 奥秩父・金峰山(1972年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 上高地・明神(2008年)
《山のエッセイ》
「山旅の記」 「山の歌」 「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
。
PR
この記事にコメントする