世界遺産の日光の寺社群、
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8、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と神仏習合」
日光山輪王寺・本堂
(日光山輪王寺は日光山中にある寺院郡の総称でもあり、堂塔は広範囲に散在しています。歴史深い輪王寺での仏前結婚式も厳粛に行われます。)
神仏習合と本地垂迹
神仏習合時代の本地仏名とは、「本地垂迹」(ほんちすいじゃく)ともいわれ、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つであり、日本の八百万の神々は実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。
「権」とは「権大納言」などと同じく「臨時の」、「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示すとされる特別な名称である。
「垂迹」とは神仏が現れることを言い、「本地垂迹」とは日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて迹(アト)を垂(タ)れたものだとする神仏同体説である。
端的に云えば、日本各地に祭られている神々とは、仏教の仏たちが仮の姿で現われたものと説いている。
言い換えれば、神は実態が無いが、仏が神に代わって実態として現れたものと解釈できる。
これを神社側の視点に立って説明すれば、神々はそのままでは俗世に姿を現すことができないので仮に仏の姿に変えて現れ、衆生の苦しみや病を癒してくれるのだという。
こうした説は平安初期頃から流布しはじめ、中世には概ね日本人の感覚として定着していったといわれている。
日光山に祀られる神は日光権現ともいい、二荒神、二荒大神が神仏習合によって権現と呼ばれるようになったもので、日本でも有数な神域だったのである。
平安初期に始まった、この神仏習合という思想形体は、文明開化の明治期、時の明治政府によって厳しく指摘され、習合している神仏を切り離す、所謂、「神仏分離」政策が施行されるに到った。 これまで神仏習合の時代は、実に1000年以上も続いたのである。
次回、「日光山と本地垂迹」
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