世界遺産の日光の寺社群、
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10、日光の世界遺産;二社一寺 「日光山と輪王寺宮」
輪王寺本堂(三仏堂)
輪王寺 大猷院廟唐門(家光朝廟)
日光山と輪王寺宮について、
日光山輪王寺は、室町時代には所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極める。
しかし、その後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条氏の支配下にあった寺領は全てを没収され、一時衰退した。
しかし、近世に入って、天台宗の高僧・天海が貫主(住職)となってから復興が進んだ。
元和3年(1617年)には徳川家康の霊を神として祀る東照宮が設けられた(現存の東照宮社殿はこの時のものではなく、20年ほど後に建て替えられたもの)。
承応2年(1653年)には3代将軍徳川家光の霊廟である大猷院(たいゆういん)霊廟が設けられた。
東照宮と異なり仏寺式の建築群である大猷院霊廟は近代以降、輪王寺の所有となっている。
その翌年の明暦元年(1655年)には後水尾上皇の院宣により「輪王寺」の寺号が下賜され(それまでの寺号は平安時代の嵯峨天皇から下賜された「満願寺」であった)、後水尾天皇の第3皇子・守澄法親王が入寺した。
以後、輪王寺の住持は法親王(親王宣下を受けた皇族男子で出家したもの)が務めることとなり、関東に常時在住の皇族として「輪王寺門跡」あるいは「輪王寺宮」と称された。
輪王寺宮は、輪王寺と江戸上野の輪王寺及び寛永寺(徳川将軍家の菩提寺)の住持を兼ね、比叡山、日光、上野のすべてを管轄して強大な権威をもっていたとされる。東国に皇族を常駐させることで、西国で天皇家を戴いて倒幕勢力が決起した際には、関東では輪王寺宮を「天皇」として擁立し、徳川家を一方的な「朝敵」とさせない為の安全装置だったという説もある。
だが、戊辰戦争の後に明治政府によって輪王寺の称号を没収されて、明治2年(1869年)旧称の「満願寺」に戻される羽目になる。 更に、追い討ちをかけるように輪王寺宮本坊を焼失してしまう。
だが、明治15年(1883年)に栃木県の取成しによって、荒波を越えて再び、「輪王寺」を正式の寺号とすることが許されたのである。
次回、 「輪王寺;日光駅から」
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