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世界遺産・知床(2) 「流氷について」
アムール川より流れ出る流氷群の流れ(資料)
オホーツク海を埋め尽くす流氷群(パンフ資料))
知床に接岸した流氷
最近は紋別や網走の流氷観光船が有名なため、流氷=紋別、網走と思っておられるが、以前は流氷と言えば「知床」だった。
びっしりと流氷が来ると、船は出られなくなる。
逆に、船が出られるということはそれだけ流氷の密度が少ないということである。
知床・ウトロでは、流氷のシーズンになると船はすべて陸に揚げられ、出航はおろか、港に留めておくと船が流氷の圧力で潰されてしまうという。
このことからも、流氷が相当の圧力で知床半島の陸地を押し付けているかが察せられる。
知床半島の海岸の断崖絶壁は、地球的年齢の流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
その「オホーツク海流氷」について・・、
流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、時期ともなると北の方から次第に流氷が押し寄せてくるのである。
樺太最北部、間宮海峡のアムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来る。
北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ一月の中旬ころであると言われ、そしてオホーツク海海域に現れるのもこの時期である。
2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。
3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。
4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。
少し大業な数字を並べると・・、
氷の厚さは、計算上、北海道沿岸では40~50cm、オホーツク海では70~80cmという。
因みに、オホーツク海の面積は153×10の4乗平方キロメートルと計算され、80%が厚さ 70~80cmの海水に覆われるとなると、その量は、9×10の11乗立方メートルもの大量になるという。
毎冬これだけの氷を融かすのに必要な熱量は、極端な話、日本の原油輸入量の25年分にも相当するといわれる。
ところで、流氷の状況の変化は早い。
特に春の解氷期に著しいという。1日のうちに見渡す限りの流氷原が流れ去ってしまったり、逆に青海原が一日のうちに流氷で覆い隠されてしまうことは珍しくない。
流氷の動きは速くても一時間に1kmか2kmくらいである。(風速の 2~3%で動くと言われている)。
流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、
漁業は出来なくなるし、流氷から吹き付ける寒風は身を切り裂く、又、防波堤など護岸設備をも破壊する。
しかし、流氷は漁民にとって貴重な「食」をもたらしてくれる大切な存在でもある。
流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。
毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。
この流氷も近年、温暖化の影響を受けているといわれる・・、
オホーツク海では、年々、流氷の到着が遅くなっていて、しかも、その広がりの範囲は減少しているという。
ある機関の研究によると、50年後には流氷はすべて消えてしまうという予測もあるとか・・?。影響で魚介類の漁獲高も激減し、漁業は大打撃をこうむるとも推測されているが。
知床半島の海岸の断崖絶壁は、流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
因みに、「日本の地質百選」というのがあり、知床半島もその一つに選ばれているらしい。
その要旨として・・、
「知床半島」は千島列島から続く火山列の一つで、ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山であり、温泉も豊富である。
もう一つに、流氷による侵食で大崩れの海岸の断崖絶壁が形成され、枕状の溶岩質地盤も観察されている。この高アルカリ玄武岩質の岩壁は、現在も崩壊を繰り返している・・、としている。
「日本の地質百選」とは・・、
美しい日本の国土、火山の恵み・温泉、美しい景観の観光地、これらを形作っているのは日本列島の特殊な地質があってこそといわれ、或いは地震や地すべりなどの現象もまた地質の特異性の結果であると。
日本の地質現象は多岐に渡っており、世界の地質学者もその素晴らしさに注目しているという。そこで日本全体から,地質現象のよくわかるところを百箇所選び出し、そのユニークさを顕彰し、広く知ってもらうために選出したものとである。
平成19年3月、「日本の地質百選」選定委員会は、約1年間にわたり検討を進めてきた「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定した。
其の中に「知床半島」も選ばれている。
北海道からは他に有珠山・昭和新山や夕張の石炭大露頭など7カ所選ばれている。
次回、「知床の世界遺産」
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世界遺産・知床(2) 「流氷について」
アムール川より流れ出る流氷群の流れ(資料)
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知床に接岸した流氷
最近は紋別や網走の流氷観光船が有名なため、流氷=紋別、網走と思っておられるが、以前は流氷と言えば「知床」だった。
びっしりと流氷が来ると、船は出られなくなる。
逆に、船が出られるということはそれだけ流氷の密度が少ないということである。
知床・ウトロでは、流氷のシーズンになると船はすべて陸に揚げられ、出航はおろか、港に留めておくと船が流氷の圧力で潰されてしまうという。
このことからも、流氷が相当の圧力で知床半島の陸地を押し付けているかが察せられる。
知床半島の海岸の断崖絶壁は、地球的年齢の流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
その「オホーツク海流氷」について・・、
流氷が見られるのは日本では北海道のオホーツク海岸だけであり、時期ともなると北の方から次第に流氷が押し寄せてくるのである。
樺太最北部、間宮海峡のアムール川(黒竜江)河口付近で流出してきた汽水域が氷結し、寒気とともに海流、風向によってやって来る。
北海道沿岸への流氷が襲来するのは、ほぼ一月の中旬ころであると言われ、そしてオホーツク海海域に現れるのもこの時期である。
2月の初めには流氷は千島列島の南端(北方四島)に達して、その一部は太平洋に流出を始める。
3月の初めか中旬には、流氷域が最大となって、オホーツク海の80%を覆ってしまうこともある。
4月中旬には流氷は、オホーツク沿岸から去っていき、5月下旬にはオホーツク海から完全に氷がなくなる。
少し大業な数字を並べると・・、
氷の厚さは、計算上、北海道沿岸では40~50cm、オホーツク海では70~80cmという。
因みに、オホーツク海の面積は153×10の4乗平方キロメートルと計算され、80%が厚さ 70~80cmの海水に覆われるとなると、その量は、9×10の11乗立方メートルもの大量になるという。
毎冬これだけの氷を融かすのに必要な熱量は、極端な話、日本の原油輸入量の25年分にも相当するといわれる。
ところで、流氷の状況の変化は早い。
特に春の解氷期に著しいという。1日のうちに見渡す限りの流氷原が流れ去ってしまったり、逆に青海原が一日のうちに流氷で覆い隠されてしまうことは珍しくない。
流氷の動きは速くても一時間に1kmか2kmくらいである。(風速の 2~3%で動くと言われている)。
流氷は近海漁業者にとっては厄介者であるともいわれるが・・?、
漁業は出来なくなるし、流氷から吹き付ける寒風は身を切り裂く、又、防波堤など護岸設備をも破壊する。
しかし、流氷は漁民にとって貴重な「食」をもたらしてくれる大切な存在でもある。
流氷は植物プランクトンを大量に運んできて、春先、太陽光に当たるとこれが爆発的に増える。これによって、海底のエビやカニ、ホタテなどを栄養にして育つ。
又、これを餌に動物性プランクトン(北海で人気のクリオネはこの一種)も増え、この動物プランクトンを餌に北方の魚が集まり、オホーツク海は豊かな漁場となるのである。
毎年、冬になると北海道の沿岸に押し寄せるオホーツクの流氷は、北の自然の厳しさと、その営みの壮大さを堪能させてくれると同時に、豊富な食を運んできて呉れる。流氷の去った後は、壮大な漁場を約束してくれるのである。
この流氷も近年、温暖化の影響を受けているといわれる・・、
オホーツク海では、年々、流氷の到着が遅くなっていて、しかも、その広がりの範囲は減少しているという。
ある機関の研究によると、50年後には流氷はすべて消えてしまうという予測もあるとか・・?。影響で魚介類の漁獲高も激減し、漁業は大打撃をこうむるとも推測されているが。
知床半島の海岸の断崖絶壁は、流氷による侵食作用によって生成されたものといわれる。
因みに、「日本の地質百選」というのがあり、知床半島もその一つに選ばれているらしい。
その要旨として・・、
「知床半島」は千島列島から続く火山列の一つで、ドーム型の羅臼岳や硫黄を流出する硫黄山などは活火山であり、温泉も豊富である。
もう一つに、流氷による侵食で大崩れの海岸の断崖絶壁が形成され、枕状の溶岩質地盤も観察されている。この高アルカリ玄武岩質の岩壁は、現在も崩壊を繰り返している・・、としている。
「日本の地質百選」とは・・、
美しい日本の国土、火山の恵み・温泉、美しい景観の観光地、これらを形作っているのは日本列島の特殊な地質があってこそといわれ、或いは地震や地すべりなどの現象もまた地質の特異性の結果であると。
日本の地質現象は多岐に渡っており、世界の地質学者もその素晴らしさに注目しているという。そこで日本全体から,地質現象のよくわかるところを百箇所選び出し、そのユニークさを顕彰し、広く知ってもらうために選出したものとである。
平成19年3月、「日本の地質百選」選定委員会は、約1年間にわたり検討を進めてきた「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定した。
其の中に「知床半島」も選ばれている。
北海道からは他に有珠山・昭和新山や夕張の石炭大露頭など7カ所選ばれている。
次回、「知床の世界遺産」
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