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世界遺産・知床(4) 知床の玄関「斜里」
斜里町立知床博物館
知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。
先ず目に付いたのが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」があった。
この博物館は北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。
中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。
この津軽藩・派遣兵は、実戦で敗れたのではなく北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであったという。
この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」(北国・ロシアの防衛のため)というのがが置かれていて、津軽及び会津藩兵が赴任していた事実があったらしい。
題目から反れるが、その稚内のことである。
緑茶や紅茶と並んで、今や日本人の生活ではすっかりお馴染みとなったコーヒーであるが、そのコーヒーが日本で最初に庶民の口に入ったのは、なんと稚内だという。
宗谷では多くの津軽藩士が厳しい寒さの為、「水腫病」などの病気で命を失ったという。
水腫病(すいしゅびょう:)というのは、寒さで水ぶくれになり、顔がむくみ、腹が太鼓のようになって苦しみながら死ぬという奇病で恐れられた。
野菜の欠乏からくるビタミンC不足で、現在の壊血病よもいわれる・・?。
江戸幕府は、厳寒を何とかして凌ぐため藩士たちに最初に配給したのがコーヒーであった。
其の頃、日本でも歴史を刻みはじめていたコーヒーであるが、其の病気に対して効果があるといわれ、薬や治療目的に使用されたといわれるが、実際には余り効果が無かったともいう。
その頃の覚書に、「 和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き、ニさじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし 」とあるとか。
「日本周遊紀行」; http://orimasa2001.web.fc2.com/d-8-2
同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが、僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは、僅か17名にすぎなかったという。
因みに、浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。
体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。
この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!?
知床斜里駅の写真
知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。
元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は、知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。
知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。
2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まるであろう。
序ながら、斜里(現在の知床斜里)駅からは、かって「根北線」といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。
道東の盲腸線とも言われたことがあったが、廃止されてから30数年になるという。
根北線は、今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。
しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。
次回、「オシンコシンの滝」
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「山旅の記」 「山の歌」 「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
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世界遺産・知床(4) 知床の玄関「斜里」
斜里町立知床博物館
知床半島の西の玄関口「斜里町」へ入った。
先ず目に付いたのが、海岸よりに「斜里町立知床博物館」があった。
この博物館は北海道、オホーツク海特有の文化や歴史、自然を展示しているが、特に秘境と言われる知床半島の自然情報、動物・植物の様子、流氷や半島の自然を展示、説明しているのが特長である。
中でも、人物や歴史を学ぶコーナー等が有って、目に付いたのが、この地にも幕末北方警備の為「斜里場所」という駐屯地が置かれ、津軽の藩兵が派兵されていた事実であった。
この津軽藩・派遣兵は、実戦で敗れたのではなく北海道の自然の過酷さに敗れ去ったのであったという。
この同じ時期、蝦夷北端の地、稚内に「宗谷場所」(北国・ロシアの防衛のため)というのがが置かれていて、津軽及び会津藩兵が赴任していた事実があったらしい。
題目から反れるが、その稚内のことである。
緑茶や紅茶と並んで、今や日本人の生活ではすっかりお馴染みとなったコーヒーであるが、そのコーヒーが日本で最初に庶民の口に入ったのは、なんと稚内だという。
宗谷では多くの津軽藩士が厳しい寒さの為、「水腫病」などの病気で命を失ったという。
水腫病(すいしゅびょう:)というのは、寒さで水ぶくれになり、顔がむくみ、腹が太鼓のようになって苦しみながら死ぬという奇病で恐れられた。
野菜の欠乏からくるビタミンC不足で、現在の壊血病よもいわれる・・?。
江戸幕府は、厳寒を何とかして凌ぐため藩士たちに最初に配給したのがコーヒーであった。
其の頃、日本でも歴史を刻みはじめていたコーヒーであるが、其の病気に対して効果があるといわれ、薬や治療目的に使用されたといわれるが、実際には余り効果が無かったともいう。
その頃の覚書に、「 和蘭コーヒー豆、寒気をふせぎ湿邪を払う。黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き、ニさじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふり出し、土瓶に入れて置き冷めたようならよく温め、砂糖を入れて用いるべし 」とあるとか。
「日本周遊紀行」; http://orimasa2001.web.fc2.com/d-8-2
同様に斜里場所においても寒さと偏食(野菜不足)のため、身体がむくむ浮腫(ふしゅ)病で多くの人が亡くなったといわれる。
斜里にやって来たのは凡そ100名の藩兵であったが、僅か一年余で浮腫病のため、その殆どが死亡し翌年津軽に帰還したのは、僅か17名にすぎなかったという。
因みに、浮腫(ふしゅ)病は江戸時代には水症、水腫、水気ともいわれた。
体腔に大量の液がたまり体じゅうがムクみ、指で押すと大きくくぼみ顔は皺がなくなり、蒼白になって血の気がなくなり苦しんで死んでしまう、当時は不治の病といわれた。
この時期、斜里場所の津軽藩兵に「コーヒー」が与えらていたかどうかは否かは定かでない。
この事が縁で現在、斜里町と青森県弘前市とは姉妹友好都市を結んでいる。 そして同時期に弘前の名物祭り「ねぷた」が催されているらしい・・!?
知床斜里駅の写真
知床博物館のすぐ西方に釧網本線の「知床斜里駅」がある。
元々、斜里駅だったのが、1998年4月11日にから知床斜里駅に改称したそうである。
その名のとおり,知床への玄関口となる駅であるが、斜里町は、知床半島の西側半分が行政区としての地域を占めていることはあまり知られていない・・?。
知床観光のメッカと言われるウトロ温泉、知床五胡、カムイワッカなどは、この斜里町に含まれているのであり、つまり、知床のいいとこ取りをしているのである。 駅前の斜里バスターミナルからは、知床に向って定期バス(知床線)や,定期観光バス(知床ロマンふれあい号)などが発着している。
2005年(平成17年)7月に、知床は「世界遺産」の登録物件として、7月17日正式に承認登録された。
これによって観光客の賑わいも一段と増加するだろうし、知床斜里駅の価値が一層高まるであろう。
序ながら、斜里(現在の知床斜里)駅からは、かって「根北線」といって釧網本線より先の「越川」までの13km区間を結んでいた。
道東の盲腸線とも言われたことがあったが、廃止されてから30数年になるという。
根北線は、今の国道244号線に沿った知床半島の付け根を横断して、斜里と標津線の「根室標津」をむすぶ路線になるはずであり、第二次世界大戦による工事の中断はあったが、斜里-越川間が1957年に開業していた。
しかし、根北線は当時営業収益係数が最悪であり、国鉄一の赤字線との烙印が押され、1970年に開通後わずか13年で未完成のまま早々に廃止されてしまったのである。
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