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  世界遺産 日光大紀行(16) 「足尾銅山・1」   .




足尾銅山 .



足尾銅山製錬所、奥の禿山は備前盾山(wik)




そして、庚申山の山麓、現代の足尾の中心的存在が「足尾銅山」であろう。
これも、猿田彦大神のお告げにより、発見されたのかもしれない・・?。
現在は、「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されている。


足尾の銅鉱脈は、戦国期の16世紀の半ばには既に、発見されていたと伝えられている。

本格的に採掘が開始されたのは江戸時代の初期からであり、その後、400年近く続いた歴史ある銅山である。


三代将軍徳川家光のころに江戸幕府直轄の銅山となり、掘り出された銅は日光東照宮や江戸城建造に使われたり、長崎からオランダへ輸出もされている。

その頃の銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われるような発展を見て、江戸期のピーク時で年間1,200トンもの銅を産出していたとされている。


その後一時採掘量が極度に減少し、幕末から明治初期にかけてはほぼ閉山状態となっていたが、1877年(明治10年)に古河市兵衛(古河鉱業、古河財閥の創業者)が足尾銅山の経営に着手した。

これを期に、数年間は全く成果が出なかった銅山が、1881年(明治14年)に待望の有望鉱脈を発見し、その後の探鉱技術の進歩によって次々と有望鉱脈が発見され、20世紀初頭には国内の銅産出量の1/4を担うほどの大鉱山に成長した。



しかし、採掘、精錬の近代化にともなって、併せるように弊害も発生している。

江戸期においては人為的に細々と採掘、精錬が行われていたが、近代化によって大量に急激に鉱山開発が実施されるに及んで、足尾鉱毒事件(※)に見られる公害を引き起こし、地域及び下流域の住民を苦しめることとなったのである。



次回、 日光・「足尾銅山・2




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