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 世界遺産 日光大紀行(17) 「日光・足尾銅山・2」  .






足尾銅山における足尾鉱毒事件とは、渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山による公害事件で、銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらした事件である。

しかも、足尾銅山精錬所の廃鉱がされた後も、有毒な廃液が渡良瀬川にたれ流され、数十年にわたり魚類や農作物、養蚕など下流全域に大被害を与えた。

又、当初の鉱山開発や燃料確保による森林伐採や精錬所からの亜硫酸ガスにより水源地帯である森林が大幅に荒廃し、大洪水の原因にもなった。


これを見かねて立ち上がったのが、地元の勇士「田中正造」であった。
氏は、この公害問題に対し懸命に取り組むことになり、公害反対運動として広く世に知られることになる。
足尾銅山は、日本の公害第1号としても有名になる。


田中正造は、日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家で、告発により足尾鉱毒事件は明治最大の社会問題として世間の見聞を集め、後に「公害の原点」として語り継がれることになる。

特に、時の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行い、途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、これによって東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く世に知れ渡ったという。




1973年(昭和48年)2月28日をもって操業を全面停止し閉山した。

足尾では今、植林はもちろんのこと、環境保全を学習するために全国から希望者を受け入れたり、銅山跡を観光資源にしたり、新しい動きがずいぶん起きているという。

又、元鉱山は「足尾銅山跡」として国の史跡(産業遺産)に指定されている他、「負の遺産」として世界遺産にも登録しようという動きもあり、世界遺産暫定リスト記載に向け文化庁に要望書を提出している。

もし、この遺産が認知されれば、日光市は異色の世界遺産が2箇所存在することになるが・・?。




次に、「日光・今市地区






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