世界遺産の日光の寺社群、
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43、日光の世界遺産;二社一寺 「輪王寺大猷院と時代背景」
輪王寺大猷院慨図
輪王寺大猷院の二天門
大猷院と時代背景
大猷院(たいゆういん)は,徳川三代将軍・家光公を祀る霊廟である。大黒山の地形を利用した境内は,22棟からな国宝・重要文化財の建造物で構成されている。
家光廟の「廟」とは、祖先の霊をまつったお堂のことで、「大猷院」とは、徳川3代将軍家光公が死後、後光明天皇から賜った法号、つまり、ここは徳川家光公の墓所なのである。
家光公は、祖父である家康公を心から深く尊敬し、慶安4(1651)年4月20日、江戸城で亡くなる間際、「死んだ後も東照大権現・家康公にお仕えする」という遺言を残した。
その遺志を受けた4代将軍家綱は酒井忠勝に命じ、承応元年(1652)2月から承応2年(1652)4月まで1年2か月という短い期間で大猷院を造営している。
大棟梁だったとされる平内大隅守応勝が腕を振るった江戸時代初期の代表的建築で、建物は本殿、相の間、拝殿が国宝となっているほか、唐門、夜叉門など重要文化財も多い。
又、家光公が、東照宮を模倣することをはばかったので、東照宮とはまったく違う趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴で、地形を利用した配置も、大猷院ならではでとされている。
東照宮の建築が白と金を基調にして、黒の縁取りをしているのに対して、大猷院は金と黒が基本で、縁取りは赤、金箔も東照宮より赤みがかったものを使用しているという。
大猷院は、東照宮の後に建てられたことから技術が飛躍的に向上していて、地味目とされているが彫刻、絵画、調度品は素晴らしいものである。
東照宮が神式であるのに対して、大猷院はすべてが仏式になっていて、そのため輪王寺に属することになっている。
明治と改元され新政府が発足すると、1000年続いた神仏習合の習慣は廃止されて、併せて神仏分離令が発布され、廃仏毀釈運動が起こり、聖地日光も当然ながら影響を受ける。
国家神道が強要され、神道にも仏教にも大きな傷を負わされる中で、明治2年、輪王寺宮も廃止され、同時に明治4年、日光山輪王寺は東照宮、輪王寺(満願寺)、二荒山神社の二社一寺に分離される。
それに伴い日光山は、神社境内からの仏堂の移転、あるいは仏像を破壊、遺棄したり多くの混乱が生じるのである。
そのような中 明治9年明治天皇東北御巡幸の際、日光御巡幸となり満願寺にご滞在の折、これらの事態を痛ましく思い「そのままに差し置け・・!」との詔令が出て、日光山は金子を賜ることになる。
特に、大猷院はすべてが仏式であったため、あわや・・!?、と思われたが、住職の必死の努力や明治天皇の“鶴の一声“で、難を逃れたのであった。
次回、 徳川家光公
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