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http://rinnoji.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/02/koukamon.jpg
本殿前のコウカ門


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/Iemitu.jpg/800px-Iemitu.jpg





徳川三代将軍・徳川家光公

家光は、幼名を竹千代といった。
これは家康の幼名と同じで、母は江(一般には江・ごう、小督・おごう、お江与・おえよの方とも呼ばれる)である。
お江は、2011年度放送のNHK・大河ドラマ・『江〜姫たちの戦国』(第50作目)でお馴染みであり、織田信長の妹・お市の方の末娘としても有名で、即ち、信長の姪っ子当たるのである。 何より、家光は血筋としては、父の秀忠(母は家康の側室・西郷局)よりも遥かに良質なのである。

家光は、同母の弟の忠長と違い、母お江ではなく、乳母の「春日局」に育てられたことから、両親共に忠長を可愛がっていたため、後継者争いが発生し、家光の将軍継承には危険信号が付いていた。 しかし、幸いにも、家康が存命中だったため、春日局の訴えで「長序の順」から家光が後継者であると宣言してもらうことが出来た。

春日局は、御存知、大奥の御上として知られる。
家光の乳母で、「春日局」とは朝廷から賜った称号であり、家光の生母・江の死後は大奥の公務を取り仕切るようになる。
近世初期における徳川幕府を支える女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与しながら、家光の名代として上洛し朝廷にも謁見している。 その際に「従二位」という位に昇叙し、よって「二位局」とも称された。
同じ従二位の女性といえば、平安期の平時子(平清盛の妻)や鎌倉期の北条政子(源頼朝の妻)と比定する位階である。



引き続き 「猷院と徳川家光公」(2)






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