世界遺産の日光の寺社群、
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34、日光の世界遺産;二社一寺の輪王寺 「大猷院の唐門(からもん)と門の概念」
唐門(からもん)
夜叉門を潜り拝殿の前に到ると、大猷院の中心に位置するのが先ず「唐門である。
その名のように唐破風を持つ、一間一戸(・・?)の高さ3mと、此れまでの御門と比べても小規模な門である。
だが、その造りは目を見張るものがあり隅々まで繊細な彫刻と金、白を基調とした彩色が施されていて、その意匠装飾は大変気品が感じられるもので、金ピカの派手さでは他の門に劣らない。
唐門は、承応2年(1653)に建てられたもので、柱や貫・梁には七宝・麻の葉などの細かい地模様が彫られ、扉には上に鳳凰、下に唐草、前後の破風の下には雄雌の双鶴と白竜、木鼻には獅子が彫り込まなど余すところ無く、美しく装飾されている。
又、両側の袖塀の羽目には多くの鳩が彫られ、百間百態の群鳩とされている。
門の概念
大猷院は、入り口の「仁王門」にはじまり、家光公墓所の入り口に当たる「皇嘉門」(こうかもん)まで、意匠の異なる大小6つの門で、境内が立体的に仕切られており、門をくぐるたびに景色が転換して、あたかも天上界に昇っていくような印象を受けるとされている。
この様に、一つの境内に門の数が多いのは、直接的には理由は不勉強で定かでないが、
例えば、城郭で一定方向へ向かうのに門が多いのは、敵の侵入を防ぐ、格式によって区別する、などの種々目的があろうが、寺院の場合も基本的な考え方は同一のようで、聖域である仏様のおわす中心施設まで、仏敵や邪悪なものを遠のける為のものと想像する。
一般に、門の大きさ、規模は「尺度」をもって表していたが、門の規模を尺度に関係なく何間何戸(なんげんなんこ)で表すようになった。
中国では1枚扉が「戸」であり2枚扉が「門」であると表現しているらしく、成程と思えるのは、戸と戸の裏返った字を組み合わせると門と言う字になるからです。
ところが、我が国では1枚扉、2枚扉もしくは扉なしでもすべて門の出入り口を「戸(こ)」と言い表しており、例えば桁行(柱間)3間で出入口が1間の場合は3間1戸(こ)、桁行が5間で出入口が3間の場合は5間3戸と表している。
次回、 「大猷院の拝殿・相の間・本殿」
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