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36、日光の世界遺産;二社一寺の輪王寺 「大猷院の拝殿・本殿」
拝殿と本殿
拝殿の造りは、東照宮の「権現作り」(元は、平安時代に生れたもので、近世盛んに用いられた神社建築の様式の一つ、東照大権現をまつる久能山や日光などの東照宮に多く用いられたのでこの名がついた)をそのまま生かし、規模は小さくとも細部の技法に力を尽くした造りとなっている。
その造りは神社に近い(実は神社である)「権現造り」を中心とした神仏習合形式であるのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」の純仏教形式となっている。
大猷院の本殿は東北(鬼門)を向いているという。 これは家光公が「死して後も朝夕東照大権現(家康公)の側でお仕え奉る」と遺言し、御廟も東照宮の方へ向けてあるからなのだといわれている。
それでは大猷院のご本尊はどちら向きかといいますと、本殿の奥壁の裏に実はもう一つ部屋が設けてあり、そこに釈迦三尊画像が後ろ向き(東南面)に掛けられている。
定式(じょうしき;決まった形)と遺言の両方に沿う妙案と言えるでしょう。
ところで、神殿(神棚)、仏堂(仏壇)は、東、南、又東南の方向にむけて建てるのが基本とされている。
仏堂の場合は、仏様が「西方浄土」におわすという慣習もあり、仏教の理想の世界、西方浄土を礼拝するために、東向きに建てたり安置するという方法である。
つまり、礼拝者は西向きに拝むことになる。
一方、神殿の向きは、日本の場合は東向き、もしくは南向きという決まりがある。 日本の神は天照神か基本であり、太陽、日出ずる国は、日の出を拝む習慣がある。 つまり西に向かって拝むか、北に向かって拝むということになる。
これらを含めて、即ち、神、仏に関する建てかたに関する定式といわれている。
承応2年(1653)建立の拝殿は桁行8間、梁間3間、入母屋で本殿、相之間と一体となる権現造りとなっている。
正面には大きな千鳥破風あり、向拝は軒唐破風で、内部は金箔で覆われている
大羽目には唐獅子と狛犬が描かれていて、障壁画は狩野探幽と狩野安信の手によるものだそうである。
大猷院拝殿は国宝に指定されています。
次回、「大猷院の本殿」
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